般若心経を味わう・連載

目次

◎ 般若心経を味わう 8
2016.3.11
◎ 般若心経を味わう 7
2016.3.6
◎ 般若心経を味わう 6
2016.3.1
◎ 般若心経を味わう 5
2016.2.26
◎ 般若心経を味わう 4
2016.2.23
◎ 般若心経を味わう 3
2016.2.18
◎ 般若心経を味わう 2
2016.2.14
◎ 般若心経を味わう 1
2016.2.10

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◎ 般若心経を味わう 8 「 舎利子 」

 新しい登場人物です。最初に現れたのは、「観自在菩薩」でした。こちらが、「摩訶」で始まり「般若心経」で終わる 276文字 の主人公になります。さて、「舎利子」をなぜ登場させたのでしょうか。

 釈迦の十大弟子の一人であり、智慧第一と称されます。ここでは、観自在菩薩をお釈迦様と置き換えれば、説法を聞く舎利子は、弟子つまり、聞く聴衆ということになりそう。他にも理由はありますが止めておこう。

 ここで、縁起(えんぎ)について復習しましょう。「因縁生起」の省略です。因は直接の原因で、縁は間接的な条件という言い方をします。因を種とすると、土や水、肥料、温度などは、縁という事になりそうですね。花や実をつけるには、どちらも必要で何かが欠けてもダメなようです。

 私たちの存在も、これと同様に考えてみれば、生まれ出たという事だけで、既に尊い存在になりますね。

◎ 般若心経を味わう 7 「 不識 」 (ふしき)

 この言葉が、達磨大師の言葉と直ぐ判れば、あなたは通ですね。梁の武帝は、お寺を建てたり、写経したり、佛塔を建てたりしたけど、どんな功徳があるのか、と達磨大師に尋ねた。「無功徳」と言われた。

 第2問は、仏法の一番大切な事は何ですか、と尋ねたら、「廓然無聖」。(からりとして聖なるものは何もない)

 第3問が、そう言うお前は何者だ、と尋ねられ、「不識」(知らない)と答えられたと言う、超有名なお話しです。

 梁の武帝は、頼りにならないなと感じたのか、達磨大師は、少林寺に入って面壁九年、坐禅をされた。

 この「不識」(知らない)とは、普通の知らないと言う意味ではない事は、お分かりですね。では、なんでしょう ? 「無功徳」・「廓然無聖」・「不識」は、みな同じ事を言っています、と言うとかえって解らなくなります ?

◎ 般若心経を味わう 6 「 無心 」 (むしん)

 よく使いますね。ところが、一般に使っている意味と禅の意味は、かなり違いがありそうですね。心を無くして金品をねだるとか、無心に遊ぶとか、心の空虚さを表したりする。ものの哀れを解しない意味でも用いられたりする。

 禅の場合、このどれにも当てはまらない。 それでは、なんと説明したらいいのだろうか ?

 実は、もう今までに説明させて頂いていますから、今日は、改めて重複を避けたいと思います。むしろその方が、無心に近づく一番の方法かもしれません。

 意識し過ぎたり、考え過ぎたり、思い悩んだり、理解や納得したり、先の事を考えたり、これでいいんだと確認したり、しないことですね。

◎ 般若心経を味わう 5 「 行深 」

 行深般若波羅蜜多時 と繋がりますね。 漢文になっていますので、英語と同じく動詞が先に来て、目的語が後になっていますね。般若波羅蜜多を深く行ずる時に、としてみました。

 般若波羅蜜多は、題名のところでお話ししましたので、復習をしてみましょう。人知を超えた智慧で彼岸へ到達する(お悟り)となり、お悟りの心で深淵に行じて見ると・・・となるでしょうか。( お悟りの心そのものになる事 )

 この行を修行すると解釈しますと、誤解を招くのでただ単に行ずる、あるいは、お悟りの境地に入ると捉えないと、よく分からない内容になってしまいそうです。

 日頃は、自我の心で色々な事を行いますが、深く坐禅を行じてみますと、つまり、自我を離れてみますと、そこには、とらわれのない心がある事に気づきますね。

◎ 般若心経を味わう 4 「 観自在菩薩 」

 よく聞かれます、「 菩薩様ってなんですか ? 」

この疑問が出て来てしまうのに、辞書・書籍などでは、「悟りを得ようと修行している位」などと実際に見かけます。ところが、これを定義にすると、この般若心経は、最初から成り立たなくなることがお分かりでしょうか ?

 如来と言われる佛様は、動きを止めて坐っています。ところがこれでは、悩んだり困ったしている人々を救う事が出来ません。如来に代わって動いてくれる方が、菩薩様になります。つまり、悟りの境地に至っているからこそ衆生を救える訳です。

 不動明王や弁財天といわれる、明王、天なども、佛様の化身といわれていますね。

◎ 般若心経を味わう 3 「 観自在菩薩 」

 般若心経を漢訳した玄奘三蔵さんは、ご存じ西遊記のモデルになっています。孫悟空は、空想人物ですが、三蔵法師を守る守護神になるでしょうね。

 普通、観音様の正式名は、観世音菩薩と言います。文字通り、世の中の音(悩みごとなど)を見聞きする。それを玄奘さんは、観自在菩薩と訳した。

 自由自在を辞書で引くと「自分の思うままにできるさま」と出てました。佛教の立場からすると、誤解する事が多いかなと思います。「こだわりがない状態」としておきましょうか。

 自在を観る事は、自在に観る事に繋がり、十人十色のような色々な考え方に、柔軟に救いを求めている人に対応する菩薩。

◎ 般若心経を味わう 2 「 摩訶般若波羅蜜多心経 」

 波羅蜜多は、彼岸へ到達、つまりお悟りをひらくこと。 心経の心は、普通の心と違うんですが、お悟りの心と言ってもピンと来ませんから、中心の心、つまり要と考えてはどうでしょうか。

 文字の解釈は、間違わなければ大体で OK だと思います。 まったく違った方向へ進んでしまうと、とんでもない事になりますが、正しく進むための指針(道標)という程の感じです。

 これで題名の意味は、「人知を超えた智慧で悟りへ向かう要になるお経」という感じでどうでしょうか。

◎ 般若心経を味わう 1 「 摩訶般若波羅蜜多心経 」

 新しいシリーズです。正式な題名はこちら。 摩訶、とは、大いなる、非常な、優れた、人知を超えた、という感じになるでしょうか。摩訶不思議と言っていましたが、今は聞かなくなりましたね。

 般若は、一番のキーポイントになります。この心経の中では、この般若の説明が書いてあると言ってもよいのです。一応は、「人知を超えた智慧」と言って、生活の知恵とは違うことを表してます。

 人知を超えた智慧とは、諸法の実相は、空、無、である、と言う事を伝えようとしています。ただ、これを捉えるのは、実に難しい。頭では、捉えられない、と言う事で、どうするのか・・・と言う事になります。