般若心経を味わう・連載

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◎ 般若心経を味わう 16 「 不増不減 」(ふぞうふげん)

 増すこともなく減ることもなし・・・前の「 不垢不浄 」(ふくふじょう)と同じですね。物事を計る物差しは、個人に依り微妙に違ったり、時には大きく違ったりするのは、このためなんですね。

 だからこそ、違って普通、違って当然を理解できないと、争いの種になりかねないですね。個人のリスペクトがようやく囁かれる様になりましたのは、今まで集団的な社会であった日本にも、風穴が開いたようですが、これが逆に個人の我がままをつぶやく様になったのも事実ですね。

 不況と言われて長いのですが、実は日本は、現在過去最高の生活レベルを受けられています。例え、高度経済成長時期に比べてもかなり凄い生活レベルですね。

 これは、なぜ感じられないのかと言いますと、過去の数字を基準にして比較するところから、豊かな心を感じ取られないのだろうと推測しています。視点の違いと言うよりは、ここでは、空相と言っておきましょうか。(笑)

◎ 般若心経を味わう 15 「 不垢不浄 」(ふくふじょう)

 垢もなく浄もなし・・・垢(あか)とか浄(清らか)もない。 まー、人に依り垢と浄の基準は、まちまちですね。昔なら、今の基準と違うし。つまり、境目は定かではないと言う事です。むしろ、区切れなんてないとも言えます。

 それぞれの基準を設けていると、争いが起こりますね。どうしたものでしょうか・・・譲って上げても感謝されない世の中、ますますライフスタイルが難しくなります。

 我(色々な基準)で押し通すのは、空(基準がない)ことをよく知らない事になるんでしょうか。

◎ 般若心経を味わう 14 「 不生不滅 」

 生ぜず、滅せず・・・諸法が空相なので・・・と言う事は、実態がないから、生じないし、生じなければ、滅もまたない。

 これは、かなり厳しい教えになってきました。私たちは、産まれていると言う実体もなく、死んで行くと言う実体もない。そりゃー、こうなれば、恐れもなく不安もなく悩みもない事は、容易に想像されますね。

 さて、そんな風に思えないのは、どうしてでしょうか ? 今まで、存在していると認識しながら積み重ねて来てしまっている習慣力という力が強すぎるからでしょうね。

◎ 般若心経を味わう 13 「 舎利子是諸法空相 」

 舎利子よ、是れ諸法は空相なり・・・舎利子よ、今までの例に挙げた、色即是空、空即是色などや五蘊のような諸法は、空の相をして実体がないぞ。

 繰り返しになりますが、色々な例を出して空相を言い続けている。それ程伝えたい事なのである事が、よく伝わってきますね。

 これで、般若心経は空を伝えたい事がハッキリしましたね。それでは、実際に空とはどうゆう事なのか、実感できる事は何でしょう。実は、自分の周りに溢れていますから、考えてみましょう。

◎ 般若心経を味わう 12 「 受想行識亦復如是 」

 受想行識も亦(また)復(また)是(かく)の如(ごと)し
この前は、色即是空・・・と五蘊の中の色に付いて言ってました。五蘊の他の4つ、受想行識についてもまた同じだよ、と言っています。

 つまり、「 色即是空 空即是色 」の色を受や想に入れ替えると、
「 受即是空 空即是受 」や「 想即是空 空即是想 」となりますね。

色・物質的なもの
受・感じ受けとる作用
想・受け取った事を記憶したり、それを思い出したりする作用
行・潜在的な心の作用
識・認識作用

◎ 般若心経を味わう 11 「 色即是空 」

 色は即ち是れ空なり・・・形は有っても、即座に実体のないものとなる 先に出てきました、色不異空 と言い方は違いますが、内容としては同じ事になりますね。

 どちらかと言えば、「 色不異空 空不異色 」よりは、「 色即是空 空即是色 」の方が世に出ているでしょうか。どちらも、2つで1セットになります。

 「 色即是空 空即是色 」でも、色即是空 が先にあるためか、よく取り上げられますが、2句で1セットになることに注意しなければならないでしょう。

◎ 般若心経を味わう 10 「 空不異色 」

 空は色に異ならず・・・空は色と同じだ・・・実体はないけれども、一時的に形作られている。

 この一時的にという点が、今日のポイントになりそうです。私たちは、一時的な存在なんだ、という事になりますね。

 舎利子よ、真理は、「 色不異空 空不異色 ・・・」だよ、と観音様は説法された。

◎ 般若心経を味わう 9 「 色不異空 」

 色は空に異ならず・・・色は空と同じだ・・・色(形あるもの)は、空(実体がないこと)と同じだ・・・形あるものは、実体がない。

 私たちは、日々変化するこの時の中で、何を望むか。一定であり変化しない事を平和と思う。それは、変化は怖い、変わりたくない、死に近づく、などの様に、いい風に考えられない。

 しかし、この様に実体がない(空)存在である私たちは、日々必ず変化している。むしろ、目に見えない変化をしているからこそ、表面的には一定が保たれている。

 舎利子よ、真理は、「 色不異空 」・・・だよ、と観音様は説法された。

※ 「 色不異空 」だけでなく、「 空不異色 」などが後に続きます