無門関 第二三 不思善悪

第二三 不思善悪

今日の話はとても有名な話です。インドから中国へ仏法を伝えた達磨大師から数えて六代目になります慧能禅師のお話です。ちなみに達磨さんは歴史上の実在人物です。意外とそうですか?と言われます。

六祖慧能禅師は、独覚と言われる程、一人で悟られてから五祖弘忍禅師を訪ねた。そこには、第一人者と目されだ神秀上座が居た。そこで、弘忍禅師は、後継を決めたいから悟りの境地を詩に書けと、七百人の修行僧に題目を与えた。

神秀上座は、七百人を代表して次の詩を書いた。自信が無かったので四、五日かかったと言われてる。また、師には、出せなかったので、廊下へ張り出した。

身はこれ菩提樹。
心は明鏡台の如し。
時時に勤めて払拭せよ。
塵挨を惹かしむる事なかれ。

弘忍禅師は、とても褒めてこのように修行すれば間違いがないと言われた。
これに対してお寺で米引きを担当していた盧能(後の慧能禅師)は、人に書いてもらい神秀上座の偈の横に貼ってもらった。偈の構成は、神秀上座にならい韻を合わせて作られた。

菩提もと樹にあらず。
明鏡また台にあらず。
本来無一物。
いづれのところにか塵挨を惹かん。

ところが二人の師である弘忍禅師は、後の詩、盧能(後の慧能禅師)の詩を取り外したのでした。

さて皆さん、ここで質問なのですが、どちらの偈がよいのでしょうか? そしてその理由は何か言えるとしたら、弘忍禅師から、本当に褒めてもらえますよ。(笑)チャレンジしてみましょう。

さて、後を継いだのは、後ろの偈を読んだ盧能(後の慧能禅師)です。では、なぜ師に取り外されたのでしょうか?それは、あまりに良すぎて七百人からの嫉妬を避けるためだったようです。しかも、神秀上座は、長年ここで修行してますが、盧能は、来てから日が浅く、しかも米引きの役で、出家してなかったと思われます。そこで、危害を恐れての配慮だったのです。

実は、第二三の話は、この後の話が出てきます。盧能は、師から法を継ぎ、皆んなに内緒で夜中の内に寺を出ていたのでした。暫くして、皆がその事に気づき、その中の慧明上座が、法を継がれて慧能禅師となった六祖に追いつき問答が始まります。慧明が、追ってきたのは、衣鉢の為ではなく、法の為です。法を説いてください。とお願いをした。すると、六祖慧能禅師は、ホントに最初の説法をされて言うには、「不思善、不思悪、正与もの時、那箇か是れ明上座が本来の面目と」それで題名になっています。

これが良い、あれは悪いと、考えている暇は無い、そんな事に気を使わなくても、脇目も振らず私を追って来た事が、既に本来の面目になっている。と親切丁寧に応えてくれてます。無門和尚が言うには、例えばミカンの皮をむいて、口に入れてくれて、後は、ゴクんと飲むだけにしてくれたと。(笑)