無門関 第二七 不是心佛

南泉和尚にある僧が質問をした。『人のために説かざる底の法有りや』と尋ねた。南泉和尚は、『有り』と応えた。するとどうしても聞きたくなりますね。それは何かと問うと『不是心、不是佛、不是物』と和尚は応えた。これが今日の題名です。

『人のために説かざる底の法有りや』この質問の解釈は、いろいろな意味に取れます。「誰にも説かない佛法がありますか?」とか、「誰にも説くことのできない佛法がありますか?」も考えられますが、どちらでも同じなのですが、最初の方でいいと思います。その答えがあるというのですが、元々佛法は、説けないものなので、和尚さん正解ですね。(笑)

逆に言えば、これで法を説いたことになります。それだけでは一般的に分からないので、具体的に尋ねたんです。すると南泉和尚は、「是れ心にあらず、是れ佛にあらず、是れ物にあらず」と来ました。やっぱり、説けないよ。と言っている訳ですね。今日の南泉和尚のテーマはこれなんです。だからまた質問したとしても同じように答えるだろうと考えられます。

3・11といえばお分かりですね。未曾有の大震災+放射能は、私たちに何を突き付けたかといえば、「この地球を人類が支配しているかのように思っているようだが、自然の力はこうだよ」と。それに対して人類は、何もできなかった。つまり、それが証明された。そこで人類は、目が覚めるはずだった。右往左往して何もできなかった。

昔より、カリスマ的に支配が続くと東西を問わず神に近づくと思ってしまうようだ。信長、秀吉、家康もそうだったようだ。東照宮は、その現れ。地震の予知は不可能だそうだ。人類は、一度も自然を支配したことはない。できないからだ。その辺りが曖昧なうちに酔いしれたのかな?とにかく、あの地震で人類は目を覚ますはずだった。この自然は、説明がつかない事ばかりだ。

というような感じで、南泉和尚は、「是れ心にあらず、是れ佛にあらず、是れ物にあらず」と言ったかもしれない。とにかく説明が付かないのです。それでは納得しないから、ああでもないこうでもないと言い訳を付けるのが、この説明になります。つまり、余分な事を言っているわけです。でもそうしないと、ここに字が埋まらないし、便りが発行できないから。(笑)

まとめてみますと、佛とは何かと問われても本来は、説明できないもの。それを言ってみると「是れ心にあらず、是れ佛にあらず、是れ物にあらず」とも言えそうです。「自分はなぜ生まれてきたのか」正確には答えられない。あっ、それは ×