無門関 第三十 即心即佛

馬祖道一禅師に、大梅和尚が質問をしました。「如何なるか是れ佛」禅師は、「即心是佛」と応えられた。題名は、即心即佛となっていますが、同じ意味です。「衆生本来佛なり」という言葉は、既に出てきましたが、もう一度復習です。「私達は、既に仏様です」と言われても、納得がいかないですね。なぜでしょうか?それは、悩みが多く不平不満が耐えないからでしょうか。

それとも、佛様とは、人類を超越した存在で決してなれないもの、あるいは、亡くなった人の事を意味する言葉と勘違いしてないでしょうか。良い例えではないと思うのですが、例えば、十円玉がありますね。裏でも十円、表でも十円です。このように、例えば、私たちの表を人間、裏を佛としたら、分かりやすいでしょうか?変な言い方ですけれど、例えば裏が出た時は、私たちも、仏様です。それが、いつも出るようになれば、仏様です。ここまではいいですか。 では、次ですが、当然、裏の時とは、どんな時ですか? となりますね。

そこで、禅師は、「即心是佛」と言われました。その時、大梅和尚は、自身が表も裏も佛になっている事にはっと気が付いたのです。

「即心」とは、心身一如ですから、身も心も直ちに、ということでしょう。ある意味で、表も裏もという事になりそうです。つまり、全てという事です。

修行僧であっても、佛と言われると、何か特別のモノを思い描いてしまうものです。そう言う妄想をやめて、神通力も捨てて、コツコツと励んでいると、ここの大梅和尚のようになるかもしれません。それを悟りと言っています。だから、何も特別な事はないのです。有ったら逆に怪しいかもしれませんね。そういうものなので、誰でも仏様になれるのです。

仏様になってどうするのか? という疑問が出てくるのですが、どうもしません。なったらなっただけで終わりです。ただ、迷っている方に自分の経験を話せる、導くことができる、だけです。やはり特別なことは、ないのです。ただ、悩みが減り(完全には無くならない)自分は、身軽になり余裕ができ、人のために働けるようになる、だけです。そのほか何もありません。

今回、私は、皆さんが佛様だと思った瞬間は、塀の寄付を持って来て下さった時です。(そりゃそうだなって言わないで下さい、笑)あるいは、振込で、あるいは、積立で、あるいは、二口で、頂きました。驚く他ありません。この行いが佛行でないはずがありません。それも、布施行(寄付をすること)と言うのは、一番難しい佛行とも言われています。確かに佛様でした。