無門関 第三十五 倩女離魂

第三十五 倩女離魂

今日は、物語です。倩女という美しい女性が住んでいた。また、王宙という美少年も近くにいた。倩女の父は、戯れで大きくなったら、二人は、一緒になるだろう、と言った。

ところが、倩女の父は、気が変わって、相当な地位あるとろろへ嫁がせてしまった。それで、王宙は、家出してしまった。すると、後を追って倩女が来たので、一緒に隣の国へ逃げた。二人の子宝に恵まれ幸せに暮らしていたが、二人とも故郷が懐かしくなり、郷里に戻った。そして、王宙は、一足先に戻り、今までの事を話したら、倩女の父は、「君が家出した後、倩女は、病気でずっと寝込んでしまい、今も寝ている」と。

王宙は、「そんな事はない、倩女は、今船で待ってますよ」
使い者が見に行ったところ、本当だった。
船に居た倩女は、家に向かい、門まで来ると、寝ていた倩女も起き上がり、二人が重なって一人になった。
この話を元にして、法演禅師が、ある僧に尋ねた。「倩女離魂、那箇か是れ真底」と。

この話は、本当かどうか、と。
この話で直ぐに思い出すのが、マジックです。例えトリックだと分かっていても、実際、目の前から消えます。そこで問題です。あれは、嘘かホントか?
目の前から消えたのは、ホントで、実際は、トリック、と言ってみても納得いかない程、最近のものは、凄いですよね。それでどうなんだ、と言われても、答えられない。

無門和尚は、この真底を悟れば、生死は、旅行のようなものだ、と言ってます。旅館に着いて寝ることを死に例えれば、朝起きることが、生まれることになる。そして、いい処を見て回るのが、人生。人に依り見る所が違うのが人生、好きな食べ物が違うのも人生。そうすりゃ、趣味が違って当然、やりたい事も違う。どれが本当かどれが嘘かは、分からない。さて、皆さんの旅行の風景はどうだったでしょうか?ええ所を見てこられたでしょうか?若い方は、今までのところで考えて見て下さい。

幸せは、自分で感じることであって、人から認められるモノではありまん。旅の風景を幸せと感じられれば、安らかな眠りに着けます。何を持って幸せとするかも個々により様々です。昔に比べれば、豊富なモノに溢れています。モノをどれだけ持っても、際限がない。どこかでモノに頼らない自分を発見しなければ、本当の幸せは、来ないのでしょうね。幸せを感じたら、家族に、後世に何か残して行きましょう。いわゆる、旅のお土産ですね。上げること自体が心地よい、愉快、幸せ、ですね。貰った人も嬉しい、楽しい、感激ですね。