無門関 第二六 二僧巻簾

清涼院の大法眼文益禅師の方丈に、昼の食事前に二人の僧が参上し拝問していた。そこで、法眼禅師は、何も言わず簾を指差した。すると、二人の僧は、ピンと来て簾を巻き始めた。この事が、今日の題名になっています。

そして、法眼和尚は言われた、「一得一失」。なんのこっちゃ?

一つは、得を得ているが、一つは、失っている。あるいは、一人は、上手だが、一人は、下手だ。えっ、そんな事があるの?簾を巻くだけで、上手い、下手が、現れるものなのでしょうか?そういうこともあるでしょうが、ここでは、むしろそこに視点を置くことへの注意を喚起していると捉えなければ、ならないでしょう。得か損かは、日頃から私たちの判断基準なのは、間違いないでしょうけれど、ここではそこに疑問を投げかけています。

「表裏一体」という言葉があります。これは何んにでも使えて便利な言葉ですが、意味は、とても重くなります。ここで当てはめてみますと、得を得たと思っても、同時に失も得ているし、失を得たと思っても同時に得になる因縁も得ている。つまり、得と失は、一体で離れられない。これが自然界の道理ということです。得した時には、得が表面で失が裏になっているので、私たちの目には、得しか見えませんが、実は、失が隠れているのです。とくに経済界では、これが常識とさえ言われることがあります。バブルが弾ける前の好景気があれば、当然今の低迷期が来ると。ところが、それをコントロールするのは、至難の技となります。そうなんです、目に見える得を得ても、隠れている失のことを考えながら、コントロールする必要があった訳ですね。ところが、その時には、そんな事を考えている余裕などない程、一所懸命ですから・・・

もう一つ上げれば、「禍福は、糾える縄の如し」で、禍とか福は、まるで縄のように代るがわるやって来るものだ。とか、
「楽は苦の種、苦は楽の種」は、正しく今日の問題で、表ばかりでなく裏を見よ、そして、そんな事に囚われるな、と言う響きも感じられますね。

最後に上げるのは、「人間万事、塞翁が馬」ですね。ご存知だと思いますが、ある日、塞翁の馬が逃げた。そのうち、逃げた馬が駿馬を連れてきた。翁の息子が喜んで乗り回していたら、馬から落ちて、足を折った。そのうち戦争が始まり、近所の若者は、戦争に行った。翁の息子は、足が悪くて兵役を免れた。というお話です。不幸が幸の種となり、幸が不幸の種となっていますね。本当にこの様な事は、日常茶飯事に起こっています。視点を変えてみましょう。

 

無門関 第二六 二僧巻簾” への1件のコメント

  1. 二人の僧で比較しても最適とは限らないですね どちらが上手かという問題より廉を上げて明るく風通しよくする方法は他にもあるはず 会社のプロジェクトでも答えは提案されていないものの中に最適解があるのかもしれません
    そんな皮肉をこめて言われたのではないでしょうか? 意味深いですね。

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