外道の人が仏様に質問をしました。外道というのは、仏教以外の教えを学んでいる人です。仏教以外と言っても、ブッダ・お釈迦様が現れるまでは、そうだったインドでは、かなり近い精神世界が流行っていたと思われます。
そこで、外道の人は、なんと質問したのかといえば、「有言を問わず、無言を問わず」と。これは、あるといっても当たらないし、無といっても当たらない。有無超越といっても当たらない。とうとう行き詰まってお釈迦様に質問に来た。
すると、お釈迦様は、何と答えたか、一番気になるところですね。それが何も答えずに座ったままでした。普通では、何も答えてくれなかったと思ってしまうでしょうが、その外道の人は、なんと「世尊大慈大悲、我が迷雲を開いて、我をして得入せしむ」と、賛歎して言ったのです。迷いの雲を開いて道に導いてくれたと言うのです。つまり、悟ってしまった。あらまー、仏教を学んでなくて、たった一度、世尊(お釈迦様)にお尋ねしただけで、悟ってしまった。側に居た阿難様が、困ってしまう。案の定、阿難様は、世尊に尋ねた。どうしてあんなに賛歎して帰って行ってしまったのですかと。あらー、阿難様気がついてない。お釈迦様の後を継がれた方ですが、この時は、まだ分からなかった。あちゃー。こんな事があるんですね。そうなんです、人に依り、悟るときは、バラバラです。この場合、阿難様の立場が、ないですけれど、仕方がないです、これだけは。
そして、ここに関しても付録が付いています。こんなに早く気がついてしまったことを、世尊は、「良馬の鞭影を見て行くが如し」と評しました。賢い馬は、鞭の影を見ただけでムチ打たれないうちに、動き出すと。これは、世の中の成り立ちや仕組みのように、優、良、可、不可と別れてしまうものだ。生まれながらその星に居る事を受け止める時が来るものなんだと。
大卒の就職難は、なぜ起こってしまったのか?これこそ、この世の自然の成り立ちに背いたからなのかもしれませんね。みんなが、優や良(大学へ行くこと)になることは、難しいし、そうなってしまったら、世の中が回っていかなくなるから、他の道を探そうと考えなくては、
優や良の人で溢れてしまうことを察知しなければいけなかった訳ですね。(私は、できませんでしたが笑)経済の理論ですね、同じ物が沢山あれば、その一つは、安くなる。
またメインの方で言えば、自分がなぜ生まれたのか、なぜ死ぬのか、分からないし、説明できない。そもそも、この世の中は、説明不可能な世界なのです。