無門関 第三十八 牛過窓櫺

第三十八 牛過窓櫺

この公案は、思い出深い修業時代の独参(師匠と弟子一人との問答)の折に師匠から頂いたものです。
水牛が窓櫺(牛小屋の窓)を、頭角四蹄(頭、角、手足、体)が、通っても尾が通れない。なんで大きな体が通っているのに、小さい尾っぽが通れないのか?というのが今日の問題になります。

これはとても厄介な問題で、どうしても通らなければならない。そこで、頭角四蹄は、何を指していて、尾っぽは何を指しているのだろうと考える。
牛というとお盆に飾る精霊牛を思い出します。キュウリは馬で、早く来てもらうために足の速い馬に見立てます。なすは、牛にそっくりになりますから牛に見立てます。そして、ゆっくり帰ってもらうため、牛にしたと言われています。また、お盆のお飾りをたくさん背中に乗せて帰るためとも言われています。

ここで思い出すのが牛に乗せる荷物ですね。お盆では、牛の背中に乗せる荷物は良い意味ですが、問答では、迷いを指すことが多くあります。
そこで先ほどの頭角四蹄は、何を指しているのか?なのですが、これは、荷物を背負ったままでもうまく通れば通れないことはなくすり抜けた事を指すことにしてみました。例えば、入学試験に危ないと言われてた人が合格してしまった、と言う事は、よくあることです。

それでは、シッポとは何を指しているか?お分かりですね、荷物を全て降ろしてしまった牛を指していますね。荷物がないので、ひん軽でどこでもスイスイ通り抜けている。というより、通るも通らないもない。これが、荷物がない牛の丸出し。牛とは、本来の自己を指します。

さて、答えが出るまでは、あれこれと考えますが、その時はそれが苦しいが、後からはそれが楽しみに変わりますね。まるで苦しみと楽しみは、親戚みたいな感じで。(笑)

人は、頭脳を持ったのでその脳を楽しませてあげると喜びもっと働いてくれます。苦しみがあると楽しみが倍増するのは、その落差を感じるからでしょう。
同じ様に、荷物(迷い)があって、それを降ろした時の快感は、何物にも代え難いものです。つまり、迷いと悟りは、切っても切れない関係にあるようです。

そうそう、法事の時に、「悟りとは何ですか?」というご質問を頂きました。「諸法無我を感じてそれになる事」としておきました。しかし、誰でも無我なんて嫌ですからね。我を張って楽しんだ方が良いと思うでしょ?ところが、実際は、そうならないんです。我があると楽しめなくなる飽和点がやって来る。(笑)

 

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