禅語を味わう・連載

目次

◎ 禅語を味わう 8
2016.3.12
◎ 禅語を味わう 7
2016.3.7
◎ 禅語を味わう 6
2016.3.3
◎ 禅語を味わう 5
2016.2.28
◎ 禅語を味わう 4
2016.2.24
◎ 禅語を味わう 3
2016.2.20
◎ 禅語を味わう 2
2016.2.15
◎ 禅語を味わう 1
2016.2.11

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禅語を味わう・Facebook 連載

◎ 禅語を味わう 8「 両忘 」(りょうぼう りょうもう)

 私たちの生活の中では、両極するいろいろな対立があります。好き嫌い、良い悪い、大きい小さい、成功失敗、など上げたらキリがない程ありますね。その両方を忘れる、という点が禅の特徴になります。

 どちらかに居たりすると、結局は、右往左往することになり、解決に至らない事を示しています。両極を超えると言う言い方も聞きますが、忘れると言うのが、禅の立場になります。

 実は、迷いも悟りもこれに当てはめて考えますと、同じ事がいえます。つまり、悟りさえも忘れさられる運命にあります。世の中の事は、「表裏一体」分ける事が出来ないと言う事になりそうですね。

◎ 禅語を味わう 7「 不識 」(ふしき)

 この言葉が、達磨大師の言葉と直ぐ判れば、あなたは通ですね。梁の武帝は、お寺を建てたり、写経したり、佛塔を建てたりしたけど、どんな功徳があるのか、と達磨大師に尋ねた。「無功徳」と言われた。

 第2問は、仏法の一番大切な事は何ですか、と尋ねたら、「廓然無聖」。(からりとして聖なるものは何もない)

 第3問が、そう言うお前は何者だ、と尋ねられ、「不識」(知らない)と答えられたと言う、超有名なお話しです。

 梁の武帝は、頼りにならないなと感じたのか、達磨大師は、少林寺に入って面壁九年、坐禅をされた。

 この「不識」(知らない)とは、普通の知らないと言う意味ではない事は、お分かりですね。では、なんでしょう ? 「無功徳」・「廓然無聖」・「不識」は、みな同じ事を言っています、と言うとかえって解らなくなります ?

◎ 禅語を味わう 6「 無心 」(むしん)

 よく使いますね。ところが、一般に使っている意味と禅の意味は、かなり違いがありそうですね。心を無くして金品をねだるとか、無心に遊ぶとか、心の空虚さを表したりする。ものの哀れを解しない意味でも用いられたりする。

 禅の場合、このどれにも当てはまらない。 それでは、なんと説明したらいいのだろうか ?

 実は、もう今までに説明させて頂いていますから、今日は、改めて重複を避けたいと思います。むしろその方が、無心に近づく一番の方法かもしれません。

 意識し過ぎたり、考え過ぎたり、思い悩んだり、理解や納得したり、先の事を考えたり、これでいいんだと確認したり、しないことですね。

◎ 禅語を味わう 5「 黙 」(もく)

 黙っていることなんですが、一般の黙と禅の黙の違いは、どこにあるでしょうか? 一般的には、言いたくない、答えたくないので、黙っている。あるいは、言っては不味い、気分が悪いので黙っている。

 禅の黙は、それらを超えた意味で黙する訳です。前出の「無」と同じと考えていいですかね。有無を超えている状態を指しています。こちらも、前出の「維摩の一黙」は、こちらを表しています。

 「無一物中無尽蔵 花あり月あり楼台あり」という一句があります。この黙は、この無一物に当りますが、その中には、無尽蔵に有るといっています。その例として、花、月、楼台( あずまや、屋根のある建物 )を上げた。 このセットでは、月見をするのかな。

◎ 禅語を味わう 4「 円 」(えん)

 まどか、無限、おおらか、おだやか、完全、完成、玉、珠などを表しているといわれています。

 よく使われる言葉としては、円満、円通、円成、円覚などがありますね。 『信心銘』に「円 ( まどか ) なること大虚 ( たいきょ ) に同じ、欠ること無く餘ること無し。」とあります。( 本来の自己は、大空の様に欠けているところも余ってることもない )

 ※ ご参考に 『大慧普説』 大慧宗杲(だいえ そうこう)

「荷葉 (かよう) 団団 (だんだん) として鏡より円 (まどか) に 菱角 (りょうかく) 尖尖 (せんせん) として錐 (きり) よりも尖 (するど) し」

◎ 禅語を味わう 3「 夢 」(ゆめ)

 現代では、将来の夢を掲げよう、とかいいますが、例えば、『金剛経』に「一切の有為の法は、夢・幻・泡・影の如く露の如く、また、電の如し」とあるように、人生は畢竟(ひっきょう)夢なりというとらえ方をします。

 また、「露の如く、電の如し」ですので、とても短い、ということです。そうですね、40 代辺りまでは、そんなに短いと思わなかったのですが、50 代に入ると、一気に加速する感じです。今では、先が見えて来た。(笑)

 死を見つめれば、生が尊くなり、悔いのない人生を思う。戦国の武将もことごとく、人生は夢の如く、と言っていますね。自分のした事は残りますが、自分という実体はなかったと。 

◎ 禅語を味わう 2「 無 」(む)

 無門関(むもんかん)の第一則に《 趙州(じょうしゅう)和尚、因みに僧問う、『 狗子(くし)に還って仏性有りや 』 州云く、『 無 』 》というのがあります。 趙州和尚に僧が尋ねた「犬に仏性が有りますか」すると、和尚は、「無」と応えた。

 佛教では、仏性有りと言っているのですが、なぜ、和尚は「無」と応えたのか ? というところが、この公案の神髄です。

 さて、皆さんも考えてみて下さい。

◎ 禅語を味わう 1 「 喝 」(かっ)

 辞書を引きますと「大声を出してしかる」などと出てきますが、ある意味ではそうなんですが、本来からすると誤りと言わざるを得ません。

 それでは何を表しているのか・・・味わいたいところです。

禅宗には、曹洞宗、臨済宗、黄檗宗が日本に伝わっています。 「 喝 」は、どちらかと言えば、曹洞宗よりも臨済宗で多く使われているかもしれません。しかも臨済宗では、4つの意味で使われたりして、「臨済の四喝」と呼ばれています。