曹洞宗について

道元禅師は、その当時既に日本に伝来していた仏教各宗を尋ね歩いた とされています。ただ、自分の疑問を納得させて頂ける師に出会えなかったようで、 中国に渡る事を決意しました。

中国に渡ってからもいろいろな師を尋ね歩いたのですが、 なかなか見つからなかったところ、ある僧より、如浄禅師を訪ねる事を薦められ、 やっと心を許せる師匠に出会えました。

修行の末、如浄禅師から、釈迦牟尼佛大和尚より佛々祖々、嫡々相承して 伝来する佛祖正伝菩薩大戒の血脈、嗣書、大事の室中三物、いわゆる印可証明を受けられて 日本に帰国されました。

それで、釈迦牟尼世尊からの佛法を伝えられたので、新たな宗を作った訳 ではないから、最初は、曹洞宗とは呼んでいなかったようです。後になってから、 分かりやすくするために、名付けられたと聞いています。

本山は、福井県 永平寺、もう一つは、神奈川県 総持寺 です。

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神光山 成願寺 -由緒- について

本尊は阿弥陀如来。 弘仁五年( 八一四 )に弘法大師が知多半島に 上陸した際、この片名の地に悪病が流行っていた。 大師は、「 この門をよけて通れよ風の神 とふりに姿のあらん限りは 」 の歌を詠み、厄除けの祈祷を修行し、後に修行大師として別堂に祀っている。

 

江戸時代、元和元年( 一六一五 )笑山恵?大和尚が天台宗だといわれるこの寺を再建し 曹洞宗に改宗した。

 

平成七年の本堂・諸堂の瓦葺き替え改修工事がなされ、境内に先の本堂にあった鬼瓦が
『 風吹不動 』 として残されている。

 

弘法大師の修行された加持祈祷と関係の深いとされる 円空仏 『 善女竜王像 』 は、 町文化財と認定されている。

 

曹洞宗ですが、知多四国霊場第三十五番札所、南知多観音霊場第十一番札所である。 この知多半島の中で、 知多四国霊場を作る時に、真言宗だけでは、八十八カ所が作れなくて、 他宗に声をかけたんでしょう。

 ※「上記の内容はウィキペディアに投稿しました」

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知多四国霊場35番札所 について

知多四国霊場は“日本三大新四国霊場”の一つに数えられ、 その起源は
文化六年( 一八〇九 )に亮山阿闍梨が 岡戸半蔵と武田安兵衛の行者 とともに知多半島に新しい四国霊場を開創した。当寺は第35番札所である 。

  

片名という小さな集落には 車がやっと通れるくらいの昔ながらの狭い道、 その昔は両側の各家々の玄関には厄除けお札が貼られ信仰の厚い土地である。

  

本堂脇に35番の弘法大師を、また別堂に厄除け修行大師をお祀りして諸々の 災難からお守りいただいている。 平成二十年は開創二百年の記念年を迎えた。

 

知多四国霊場を全17回で巡拝する名古屋鉄道主催 『 歩いて巡拝(まいる)知多四国 』 が開催されている。

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南知多三十三観音霊場 第11番札所 について

南知多三十三観音霊場は、知多半島の南端にある 美浜町と南知多町に番外を含め三十七札所からなる。昭和五年に開創された。

  

風光明媚なこの地で海の幸を賞味したり、温泉に立ち寄ったりと観光をかねた巡拝ができる。 当寺は第11番札所である。

  

准胝 ( じゅんてい ) 観音を祀る。会う人を美妙清浄にする観音さまで、 中国ではあらゆる仏の母といわれ優しい ふっくらとしたお顔が良い。

 

毎年10月は観音さま奉賛月間として各札所でお菓子や記念品などのお接待を受けられる。

  

平成二十二年は開創80年の記念年を迎え、様々な記念行事が行われ、無事円成しました。

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円空作 善女竜王像 について

円空仏・善女竜王像( 像高91.6センチ ) 平成11年12月1日、町指定文化財に登録。。 円空は生涯で12万体あまりの仏像を彫ったといわれている。 この像は延宝四年( 一六七六 )頃に制作したといわれる。

  

胸のところには宝珠を口でくわえた登り竜が彫られ、お顔の優しい微笑みと力強さが同居しているように感じる。

  

善女竜王像は弘法大師が雨乞いを行ったときに出現したといわれる竜王の名である。 この片名の地でも雨乞いを行うときに祀られたものと考えられている。

 

平成26年1月1日付けで、「 南知多円空三佛霊場 」を新設致しました。  円空佛での霊場は、こちらが、全国初のようです。

 

 ※ 当時、雨乞いに用いたと思われる経本が残されていました。
 ※ 梅原猛 / 著 『 歓喜する円空 』の中に、紹介されています。( P 283 ~ 285 )

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